中学生の歴史の江戸時代(中期)に関する一問一答をまとめました。
このページは、解答編になります。
仙台の学習塾である仙台藤原塾では、塾で実際に行っている問題を
一部公開しています。
(図や写真のないものに限らせていただきます。ご了承ください。)
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【仙台の学習塾プリント】中学歴史 江戸時代その2 解答
01 江戸時代の商業の中心となった都市は( 大阪 )である。その都市は、
( 天下の台所 )とも呼ばれていた。また、大名がこの都市に、自分の
領地で取れた米や特産物を保管したが、これを( 蔵屋敷 )という。
02 江戸時代に整備された街道のうち、最も交通量が多かったのは
( 東海道 )である。江戸を中心とするこのような5つの陸上交通路
を総称して( 五街道 )という。
03 江戸幕府5代将軍( 徳川綱吉 )は、動物愛護令として
( 生類憐みの令 )を出した。また( 貨幣 )の質を落とし、
経済を混乱させた。
04 6代・7代将軍に仕えた( 新井白石 )は、金銀の海外流出を防ぐため、
長崎の貿易を制限した。
05 大阪や( 京都 )などの上方を中心として17世紀末から18世紀にかけて
栄えた文化を( 元禄 )文化という。
06 「曽根崎心中」などの人形浄瑠璃の台本を書いた人物は( 近松門左衛門 )である。
07 浮世草子の作者で「日本永代蔵」を書いたのは( 井原西鶴 )である。
08 俳諧として、「奥の細道」を書いたのは( 松尾芭蕉 )である。
09 「見返り美人」の作者は( 菱川師宣 )である。
また、見返り美人のような絵のことを( 浮世絵 )という。
10 江戸幕府8代将軍( 徳川吉宗 )は( 享保 )の改革を行った。
彼は人々の意見を聞くために( 目安箱 )を設けたり、
裁判の基準となる( 公事方御定書 )を作った。
また、新田開発や年貢の定率化により、財政を立て直した。
11 18世紀の後半に老中となった( 田沼意次 )は、蝦夷地の開拓や、
同業の商工業者が作る( 株仲間 )を認めて、財政収入を
増やそうとした。
しかし、この政治は大商人と結びついたため、( わいろ )が横行した。
12 18世紀後半、浅間山の爆発による、火山灰の影響で( 天明 )のききんが起こった。
13 江戸や大阪では、都市の貧しい人々が米の売り惜しみをする商人などをおそう、
( 打ちこわし )を起こした。
14 18世紀後半に老中になり、1787年から( 寛政 )の改革を起こしたのは、
( 松平定信 )である。彼は、厳しい政策とともに、( 朱子 )学を奨励した。
15 江戸時代の後期の文化・文政年間を中心に栄えた文化は( 化政 )文化である。
これの中心都市は( 江戸 )である。
16 日本の古典を研究した学問を( 国学 )という。江戸時代に、
これを大成したのは( 本居宣長 )でその代表的な著書は
( 古事記伝 )である。
17 前野良沢と( 杉田玄白 )はオランダの人体解剖書を翻訳し( 解体新書 )
を著した。このようなオランダの学問を漢字2字で( 蘭学 )という。
18 全国を測量して、正確な日本地図を作った人物は( 伊能忠敬 )である。
19 町人や農民の子どもが読み・書き・そろばんを習った場所は( 寺子屋 )である。
20 「白河の清きに魚のすみかねてもとの濁りの田沼恋しき」のような歌を
( 狂歌 )という。
21 「東海道中膝栗毛」というこっけいな小説を書いたのは( 十返舎一九 )である。
22 富士山を中心とした「富嶽三十六景」を描いた人物は( 葛飾北斎 )である。
23 浮世絵の「東海道五十三次」を描いた人物は( 歌川広重 )である。
この時代になると、( 錦絵 )という多色彫りの版画も作られた。
24 「菜の花や月は東に日は西に」という俳諧の作者は( 与謝蕪村 )である。
また、「われときて遊べや親のない雀」の俳諧の作者は( 小林一茶 )である。
25 教訓を含んだ「南総里見八犬伝」を書いた小説家は( 滝沢馬琴 )である。
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