「授業の時間」という一問一答ソフトを作ってみて
もう数年前になります。楽しく子供たちに勉強してもらいたいなという思いから
「授業の時間」というソフトを作ったことがあります。
問題はテキスト形式で自作可能、ネット対戦は8人までと、
仙台の学習塾でも(おそらく)初めての試みでしょうし、
定期試験対策の一問一答としていいかなと思い、作ったものです。
今でも時間さえあればですが、スマホのAndroidでUnityという開発環境があるので、
そちらに移植して、対戦出来たら楽しいかなあと。
ただ、思い返してみるとやはり問題も無かったわけでありませんでした。
簡単にですが、今日の学習塾ブログでそれを書いてみようかと思います。
ゲームという側面で見た「楽しさ」を阻害するもの
さて、クイズゲームの宿命でもありますが、学習塾で対戦をやってみた感想として、
ほぼほぼ頭のいい子が勝つのですね。当たり前と言えばそうですが。
問題が出る前に選択肢を選ぶ手段もありましたが、長期的には
やはり負けてしまいます。つまり、いつも負けてしまうような立場になると、
ゲーム自体をやりたくなくなってしまうわけです。
また、当時は歴史の問題だけでも数千問作りましたが、それくらいあったとしても
同じ問題が出題されることがあります。そうなると、問題文を暗記してしまう塾生も
いたわけで。そのあたりもゲームの魅力としてどうなんだろうと。
ポイントが明示されているのも、疑問点でしたね。
20問でポイントの高いほうが勝ちというルールでしたが、大量に差がついてしまうと
挽回できなくなります。これも負けと分かっているゲームをやるのかという話ですね。
全国単位で見ると、学習塾で教育ソフトの開発に熱を入れているところも見られますね。
仙台の学習塾さんで同じようなことをしようとしている方がいたら聞いてみたいものです。
では、「楽しさ」は提供しなければいけないものなのか
以上の問題点から、対戦ゲームとしてではなく、勉強するアプリとして
再開発するのが筋かなとも考えました。これならより高いポイントを目指してという、
自分自身との戦いになるわけですからね。
ただ、そこにも再考するところがあって、
こういった勉強できる手段は多いほうがいいのでしょうが、そこに楽しさを求める
必要はあるのかなと。勉強は本来、自分自身でモチベーションを上げ、
楽しさを自分で見つけ出していく作業だと思うのです。仙台の多くの学習塾さんでも
そういった指導方法を採用しているのではないでしょうか。
ゲームの分野ではスマホが普及した今、より楽しさの追及がなされています。
もっともっとお客さんを引き付ける要素を増やそうとしています。ですが、
教育の分野においては、そういった楽しさを求めて、技術革新が
なされているわけではありません。今でも黒板とノートの板書という形式です。
自分自身で楽しさを見つけ出すには、ゲームで楽しさを与えてもらうのではなく、
自分で発見するべきなんじゃないかなあと私の塾では考えていまして。なぜなら、
小学生のうちは学習量も少ないでしょうが、大学受験など最終的には紙とペンで
独学する形式が絶対に必要になってくるからです。
そのとき、嫌々言われて仕方なく勉強する状態だったらどうでしょうか。
楽しく勉強する人間と競争して、勝てるでしょうか。
塾をやっている経験から申しますと、嫌々やっている人間は
合格しないわけではないですが、「そこそこ」にしかなれません。
このままいくと次のテストが大変なことになるなどと、危機感をあおる方法も
なくはないですが、短期的にしか続きません。そりゃそうですね。
安心したいからという動機で勉強しているわけですから、
テストが終わったら、勉強する理由がなくなるわけです。
もちろん、楽しさを見つけ出す入り口として、ゲームは有効でしょう。
しかし、与えてもらうばかりではいけないのです。
勉強する楽しさを求める。そのための1つのきっかけとして
学習塾があるのではないかと思います。
形は違えど、仙台の学習塾さんの多くはそういう理念があるのではないでしょうか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
仙台の学習塾である仙台藤原塾では、1回分の体験授業をやっています。
ぜひ、この機会にお子さんに考えさせる体験をさせてみてください。
電話 022-341-8088